再チャレンジ

かなり前のことですが、セールスマネージャー候補者Aさんを、ある世界的に著名な企業B社に推薦したことがありました。B社は非常にユニークな企業で、同業種からの転職者を一切採用しません。また、セールススマネージャー候補であるにもかかわらず、セールス経験もマネジメント経験もほぼ問わないのです。明らかに、候補者のヒトとしてのポテンシャルを最重視する採用方針であり、しかも長年にわたってそれが見事に機能してきたという歴史を持っています。

さて、その候補者Aさんなのですが、人物面や知性の面で自信を持って推せるのは勿論、独特のオーラがある女性で、B社の価値観や社風とも非常にフィット感が高いと見ていました。しかも、ご本人の入社意欲も非常に高く、B社で是非活躍したいという熱意に溢れ、どこからどう見ても同社で活躍する未来像しか浮かばないような気がしていました。

そんなAさんですが、結果がどうなったかと言えば、一次選考で引っ掛かり、あっけなくお見送りとなってしまいました。ちなみに、B社の一次選考は適性検査のみであり、面接は実施していませんでした。つまり、B社は一度たりとも具体的な接触の機会を持つことなく、Aさんに対してその門戸を閉ざしてしまったのです。

この世界で予測が外れるのは日常茶飯事であり、いちいち気にしていたら到底身が持ちません。しかしながら、Aさんの場合には、こちらにも大いに勝算があった、と言うよりは確実に内定を取れるだろうと踏んでいました。(こちらとしても、そこまでの自信が持てるのは、非常に稀なことです。)しかも、彼女が挑戦したのは、人物ポテンシャル重視のB社。それだけに、面接で人物面をしっかり吟味してもらうことなく、その全段階の適性検査であっけなくお見送りという結果には、普段のケースとは比べ物にならないほど脱力させられた、と言うのが実際のところでした。

ただ、ここまでのところでも、この世界ではありがちと言えばありがちな話です。では、何故敢えてこの話を採り上げているかですが、実は、このエピソードが本当に面白くなるのは、後日談の方だからです。

B社で残念な結果となった三ヶ月後、Aさんは、自己応募にて受けたC社から見事セールスマネージャー候補としてのオファーを得て、入社をすることになりました。そのC社ですが、実はB社が買収してグループ傘下に収めた会社でした。しかも、事業内容自体はB社と全く同一である上、セールスマネージャーとしての職務内容もほぼ同一でした。そのため、お互いに活発な人事交流を行なっており、形式上はC社に入社したものの、実質的にはB社に入社したのと変わらなかったことになるわけです。

そこから、「伝説」がスタートしました。

AさんはC社で、水を得た魚のような活躍を示しました。数多い同期入社者の中で圧倒的なパフォーマンスを発揮し、C社の最短昇進記録などを次々に塗り替える活躍を見せていきました。無論、その活躍ぶりは、B社に伝わらないはずがありません。何と、最終的にB社は、採用プロセスそのものを根底から見直すこととなってしまいました。具体的には、適性検査で足切りすることをやめ、面接は必ず実施することとなったのです。

結果だけ見れば、私は実質的にはB社(グループ)に対しAさんという最優秀候補者を無償で紹介したばかりか、間接的に同社の採用プロセス改善に寄与までしたというわけです。ただ、念のため付言しておきますが、私にはB社を責めるような気持ちは一切ありません。むしろ、不完全なプロセスを迅速に見直し改善策を採った点でB社を賞賛したい、というのが素直な気持ちです。

このように、本人が意図するしないにかかわらず、転職において再チャレンジがなされ、成功するということは意外に一般的なものとなっています。それどころか、障害なく一度で入社する人たちよりも、むしろ再チャレンジした人の方が目覚しい活躍をしているような成功事例も、数えきれないくらい挙げることが出来るほどです。

ちなみに、私が知っている最高の成功事例は、再チャレンジどころか、再々チャレンジで入社した男性候補者、D氏のそれです。即ち、全く同じ企業から二度までもお断りを受けたにもかかわらず、諦めずに挑戦を続け、三度目で初めて転職に成功したのです。(勿論、誰もが何度でも挑戦すべきということではありません。D氏の場合は、それだけの実力も熱意もありながら、たまたま面接官との相性が悪いなどの不運が続いたことが首尾よくいかなかった理由であったがために、私としても諦めず三度目の挑戦をすることを薦めたような次第です。)

D氏ですが、どこにでも転職出来ればよかったわけではないことは、言うまでもありません。その企業のみに絞って一途に挑戦を続け、二年越しでついにその志を遂げることになったのです。

こうした再(々)チャレンジ組が活躍できる理由ですが、ある意味、当然であると思っています。と言うのは、それだけその企業に惹かれているだけに、熱意や意気込みの点で決して他の社員に負けることはないからです。更に言えば、入り口のところで苦労をしている分、並大抵のことではダメだという意識が強まっていることも大きいかもしれません。

日本という社会の仕組み自体、色々な意味で再チャレンジを許し難いというところがあるのは、周知の事実です。しかし、少なくともジュニア層の転職マーケットに限っては、再チャレンジが難しいというのは、誤った認識であると言って間違いありません。それだけの資質のある方には諦めず挑戦し続けてもらいたいですし、個人的にも、日々の活動の中で、それを応援し続けていきたいと考えています。

逆境の意義

日本が戦後最大の試練に見舞われた一年が、終わろうとしています。年末のテレビ番組では、改めて巨大な津波の映像が繰り返し流されていますが、何度見ても痛ましい思いが込み上げてきます。

そんな映像の中には、全く慌てている様子もない方々、更には警報にもかかわらず敢えて海の方向に近づき、津波の犠牲となった方々も登場します。東北沿岸は、歴史的にも度々甚大な津波の被害に遭ってきたわけで、「津波てんでんこ」をはじめ、その厄災を逃れる術が伝承されてきた地域です。従って、初めてそうした映像を見た当時は、そうした方々の行動が信じられない思いで一杯になったものです。

しかし、いま改めて冷静に考えてみると、それも十分に理解できる気がしています。何故なら、自分自身のことを振り返ってみても、古くからの知恵として、あるいは諸先輩方からのアドバイスとして「頭では分かっていた」ことながら、いざ現実になると実践出来なかったことが山ほどあったからです。それを思えば、今回の津波で「これまで警報が出た時も大丈夫だったから今回も心配ないだろう」と考えてしまったのも、ある意味、無理のないことと思います。

さて、これもやはり先日見たばかりなのですが、セラピードッグについて紹介するテレビ番組がありました。セラピードッグとは、簡単に言えば、「人間の治療に役立つ犬」のことで、触れ合いや交流を通じ、病気・ケガ・精神的痛手等を受けた人々の不安を減らしつつ、心と体を癒す働きをします。当然ながら、セラピードッグとして育成されるのは、温厚で優しく誠実かつ従順と、最高の資質を持つ犬ばかりです。

実は、そんなセラピードッグの中には、飼い主に虐待されたり見捨てられて殺処分寸前という経験を持つ犬が少なくないそうです。そうした過酷過ぎる経験を経たからこそ、人の痛みを理解し、人に寄り添うことが出来るのだという解説を聞いて、心から納得した次第です。何故なら、セラピストをはじめ、カウンセラー、コンサルタントといった職種に就く人々の中で本当に優れているのは、何らかの大きな失敗や挫折を経験している人であると常々感じているからです。更に言えば、そうした対人スキルが全てといった職種に限らず、およそ全てのビジネスマンについても、それなりの修羅場をくぐり抜けた経験の有無が、その人の正に「底力」に大きく影響しているように感じます。

非常に残念なことが、一つあります。上記のような経験を経て成長した人は、他の人々に対して、文字通り「教師」としての資格を持つし、またその義務を積極的に果たすべきとも思うのですが、現実的には必ずしも上手く機能するとは限らないということです。

これまたつい最近読了したばかりの本なのですが、ウォーレン・バフェットの赤裸々な伝記「スノーボール」を読めば、投資とビジネスの世界における最高峰とも言うべき存在であるバフェットですら、意外に周囲は「学んでいない」ということが一目瞭然です。実際、バフェットの近親者には自殺者が少なくなかったのであり、(バフェットにより救われましたが)投資で壊滅的打撃を受けた者までいたのです。

このように、周囲にどれほど優れた先達がいようと、あるいは父祖伝来の金言が遺されていようとも、やはり人は実際に痛い思いをしない限り、真の意味で教訓を学ぶことは出来ないもののようです。(同様に、キャリアアドバイザーが候補者に対してどんなに正しいアドバイスをしたところで、それを納得して聞き入れるかどうかは、あくまでもその方次第です。)

ところで、企業の採用慣習の中で私が最も違和感を感じるのは、総じて候補者の挫折体験をネガティブにとらえがちである、ということです。そもそも日本の社会自体が失敗や敗者に対して極めて冷酷であり、それを引きずっている部分も多いかとは思いますが、それにしても候補者の無謬性に拘り過ぎているきらいがあります。

若い人事担当であればいざ知らず、ある程度ベテランの人事担当であれば、挫折体験を乗り越えた人の真価に気付いてもらいたいです。と言うより、そもそも企業には、そうした評価が出来るような人こそを人事担当にしてもらいたいものです。

事業の失敗も、転職の失敗も、あるいは私生活での失敗も、長い人生においては付き物です。そうした失敗や挫折にはもっと肝要であるべきですし、それにとどまらず、逆境を逆に「(将来の成功につながるであろう)貴重な経験」ととらえることが出来るようになれば、日本企業も日本社会も良い意味で更に成熟し、一段上のステージに上れるはずです。そして、大変な逆境を経た後で、2012年が誰にとっても飛躍の年となることを、心から祈りたいと思います。

※参考書籍
・セラピードッグ(動物介在療法)の世界 (大木トオル著、日本経済新聞出版社刊)
・スノーボール ウォーレン・バフェット伝(上・下) (アリス・シュローダー著、日本経済新聞出版社刊)

「よい人材」とは

以前、このブログを頻繁に更新していた頃は、しばしばTwitterへの誘いを受けることがありました。しかし、生来の天邪鬼であるが故、リアルタイムのつぶやきが当たり前になればなるほど、逆に私の情報発信意欲はどんどん萎んでいきました。その結果、ブログが日記どころか「年記」と化してしまった今では、誘ってもムダとご理解いただけたのでしょう。そうした誘いも皆無になったわけですが、だからと言って決してTwitterを嫌っているわけでも無視しているわけでもありません。注目している人のTwitter上の発言は常にチェックしていますし、テレビ・新聞等のマスメディアに消費する時間が大幅に減っている一方、ネット上で情報を収集する時間は年々増えるばかり、という実感があります。ネットが玉石混交の世界であることは言うまでもありませんが、しっかり情報の選別が出来る人にとっては、本当に有益な情報をタダ同然にでくらでも手に入れられる今は、本当に素晴らしい時代であると思います。

さて、一年前には「いまの時代に合った絶対的な成功法則」などあるわけがない、という身も蓋もない話について書きました。今回お伝えしたいことも、身も蓋もないという意味では、昨年と全く同様のものです。少々長めの引用になりますが、まずは、山口浩氏(駒澤大学・准教授)の著書の中の一節をご紹介することにします。

 ある企業について、「いい企業だ」とか「よくない」とか評価することがよくある。これってけっこう危険だと思う。ちょっと強めの表現だが、書いてみる。「いい企業」なんてものがあると思うのはまちがいではないか、と。
 たとえば今評判が下がっている企業を考えてみる。いちいち挙げないが、ちょっとニュースをみればいくらでも見つかるだろう。ポイントは、それらの企業の多くが、かつて「すぐれた企業」としてあちこちでもてはやされた企業であるということだ。
 こういう企業は、かつてはよかったものが、おごりがあったりまずいことをやったりして経営が悪化した、ととらえられがちだ。もちろんそういうケースもあるのだろうが、必ずしもそういう場合ばかりではないと思う。
 強みはやがて弱みとなる。なぜか。環境が変化するからだ。サーベルタイガーがそうだったように、ある環境下に過剰に適応してしまうと、次の環境への対応能力は下がる。成功の記憶やそこから生まれた自信、目の前にあるより確実な利益機会を確保しようとする行動の結果だ。クリステンセンの言ういわゆる「イノベーションのジレンマ」も似たような理由から起きる。
 こうした理由による経営の悪化は、多くの場合、完全に回避することはできない。どんな企業でも、成功があれば利益の回収に努めるのが当たり前だし、そのために経営資源が割かれれば、新たな変化への対応は遅れがちになる。新たな変化への対応は、しばしば過去の成功の果実の一部を享受せずに放棄することが要求される。
 ということであれば、成功の後に苦しみの時期があることは、企業にとってむしろ当然なのだろう。たとえよい企業にとってもだ。いやそもそも、「よい企業」などというものはないのではないか。あるのは「よい状態にある企業」だ。

最後の太字部分ですが、好むと好まざるとにかかわらず、エージェント業に長く携わっていれば同意せざるを得ないことと言えます。実際、特にここ数年は、転職後すぐ、退職せざるをえないようなケースを多く見聞きしてきました。もっと極端なケースでは、入社前の段階(しかしながら所属企業からは退職の手続きを取った後)で話が破談となることも幾つか見聞きしました。上場企業であればいざ知らず、未上場企業の場合は、事前に情報を取るといっても限りがあるわけで、「(よい状態から)悪い状態に移りつつある企業」の見極めは決して容易ではありません。

勿論、上記のことは、企業のみではなく、候補者側にも当てはまることと言えます。分かりやすい例としては、ある技術の第一人者がいたとして、その技術が陳腐化してしまえば、途端にその技術者自体の市場価値も暴落するということが挙げられます。あるいは、たとえばプロフェッショナル的な経営者の場合であっても、新しい会社に移ってうまく行かなくなるということも、決して珍しくはないはずです。また、そうであればこそ、現在たとえどんなに成功していたとしても決して慢心すべきではないし、ましてや安易に「成功本」を出すような浮かれた真似をすべきではない、ということになるでしょう。

実際のところ、永遠に高い市場価値を保てるような人間はいません。その意味では、「よい人材」も存在せず、ただ「よい状態にある人材」のみが存在するということも出来そうです。勿論、これは極論であって、「相対的によい人材」がいることは言うまでもありません。ただ、どんなによい人材、優秀な人材であっても、適切な企業(案件)がなければその価値を発揮できない、あるいは評価されないのであり、結局のところ、転職の成否を分ける最大の要因はタイミングということになるわけです。

実は今日、久しぶりにある地方都市に行ってみたのですが、かつての繁華街がいわゆるシャッター通りに完全に変化してしまったことに気付き、一抹の寂しさを覚えました。想像ではありますが、かつての店主たちの多くは決して座して死を待ったわけではなく、他の場所に活路を求めるなり、あるいは会社勤めを始めるなどして、それぞれに生き残りを図ったのでしょう。ポイントとしては、「よい人材」なり「よい店」でなくなり始めたのを自覚したのであれば、そうであり続けられるように路線変更していくべきということであり、逆にそれを常にタイムリーに行うことが出来れば、人は長きにわたって「よい人材」であり続けられるのでしょう。

私の知り合いの中でも最も目端が利く国際的なヘッドハンターは、十年以上も前にドバイに進出して成功し、早くもリーマン・ショック前にはドバイに見切りをつけ、今度は中央アジアの某国へと拠点を移しました。巨大なマーケットではあるものの既に激戦区となっている中国などは敢えて無視し、「手付かずの有望マーケット」を目指した彼の先見の明には、感嘆せざるを得ません。結果的に大正解と言うべき彼の動きですが、さすがにここまで思い切った行動は、決して誰にでも真似が出来るものではありません。とは言え、全てのビジネスマンは、彼の先見の明、そして突出した行動力から学ぶべきところが必ずあると信じています。

※参考書籍
リスクの正体!(山口浩著、バジリコ刊)

ゲームのルールが変わった

まだ私がこの業界に入って日が浅かった頃、ある大先輩にアドバイスされたことがあります。それは、「(ヘッドハンターとして成功するには)誰もが知っている超一流企業にとってベストエージェントとなること」というものでした。この言葉こそ、その後ずっと、私がこのビジネスに携わる上での金科玉条としてきたものであり、その大先輩には感謝してもしきれないくらいです。

無論、超一流企業がエージェント一社のみと付き合うということはありません。非常に多くのエージェントと競合することになるのですが、実際に結果を出していくことで信頼を獲得し、他のエージェントには決して依頼しない秘匿案件を、その企業から独占的に得るようになることは決しては不可能ではありません。

誰もが知っている超一流企業をメインクライアントにする利点ですが、端的に言えば、「最高に効率がよい」ということになります。まず、いきなり見ず知らずの候補者をヘッドハンティングしたとしても、「そんな素晴らしい企業であれば・・・」ということで、少なくとも話は聞いてもらえます。しかも、知名度の低い企業と違い、一から説明する必要もありません。結果的に企業にご紹介出来る確率も大きくなりますし、内定後ご家族から入社を反対されるリスクも最小限に抑えられます。要するに、圧倒的に効率がよいと同時に、ローリスクハイリターンでもあるのです。

さて、この超一流企業に専念する戦略ですが、実はリーマンショック以降、目に見えて機能しなくなってきました。理由は単純です。誰もが知っているような超一流企業の多くは、世界的大企業でもあるため、それらの企業は皆、リーマンショック後はリストラに専心し、採用意欲はほぼゼロにまで低下してしまったからです。勿論、求人が完全にゼロになったわけではありませんが、それら企業から稀に出てくる求人はどれもピンポイント的な難易度の非常に高いものであり、サーチの観点から言えば、決して効率的なものではなかったと言えます。

時代を超える原理・原則といったものは、確かに存在します。しかし、一方でその時代に合った成功法則というものも勿論あるわけで、時代が変われば、かつての成功法則も通用しなくなる時が必ず訪れます。

少し話が逸れますが、私が心の底から嫌悪しているものの一つに、自分の成功体験をまるでいつの時代にも、そして誰にでも通用する成功法則のように喧伝する“成功者”があります。何故嫌悪の対象となるかと言えば、大きく二つの理由が挙げられます。

①仮に絶対的な成功法則が存在するとしても、それは世に広まった瞬間に成功法則ではなくなってしまうこと(一例を挙げれば、仮に当たり馬券を正確に予測出来る人がいたとして、その予測が公にされたなら、誰もがその馬券を買ってしまって結局妙味がなくなってしまうということ)

②既に成功法則たりえないものになったことを自覚しつつ成功法則を“売っている”のだとすれば、それは詐欺的な行為以外の何物でもないこと

詰まるところ、ベストセラーとなるようなビジネス書の中に「いまの時代に合った絶対的な成功法則」などあるわけがないのです。しかし、そのような「あるはずのないものをあるとして売り出しているような“愛のない駄本”」が、現実的には書店の店頭に満ち溢れています。そうした光景を目の当たりにするのは、何とも嫌な気分にさせられるものです。

以前、誰かがお手軽な成功本の著者に騙されることを「はしか」にかかるようなもの、と喩えているのを見たことがあります。正に言い得て妙です。二十代の免疫のないビジネスマンが「はしか」に罹るのはある程度仕方のないことではありますが、三十代以降のビジネスマンには、そうしたものに罹患しないだけの情報リテラシーを身に付ける必要があるでしょう。(そうでないと、厳しい現実世界をとても乗り切れないはずです。)

ところで、こういう偽物の情報が氾濫することのデメリットは、そうした情報を真に受けた読者が無駄な金を使ったり、遠回りな人生を送らされることだけに限りません。善意かつ良質な情報発信者の側に与える悪影響も決して少なくないと思っています。いくら良質な情報を発信したとしても、所詮受け入れられ評価されることはないだろう、と言った無力感を抱きかねないからです。また、現にそうして情報発信をストップしてしまった例も、これまで少なからず見てきました。

思わず余談が長くなってしまいました。話を元に戻すと、「誰もが知っている超一流企業にとってベストエージェントとなること」は、もはやヘッドハンティングにおける絶対的な成功法則であるとは思っていません。また、そうであるからこそ、自身の過去の戦略として公開することを厭わなくなったというわけです。

それでは、暫定的ながら現時点での比較的よい戦略は何か、私見を述べたいと思います。・・・と言えば、先述の“成功者”と同じ愚を犯すことになるのではと危惧されるかもしれませんが、ご安心下さい。ある意味当然のことであって、それこそが本来的なエージェントの価値だと誰もが同意出来るようなものですので。

勿体ぶらずに結論を述べれば、「誰も知らない案件を知っていること」です。まあ当たり前と言えば当たり前です。ヘッドハンターから声がけがあったとして、想定されているのが候補者にとって既知の案件であったとすれば、一体誰が会おうと思うでしょうか? 時間の無駄以外の何物でもないでしょう。

無論、こんな時代ですから、誰も知らない魅力的な案件の開拓は、決して容易ではありません。しかし、それなくしてヘッドハンター自体の価値もないのだとすれば、その困難な道を進むほかないでしょう。また、完全なる買い手市場となった現在の転職マーケットにおいては、優秀な候補者との出会いのチャンスはいくらでもあると言って過言ではありません。その方法論はともかく、案件開拓さえ出来る能力があれば、厳しいながらもエージェントとしてやっていくことは十分可能だと確信しています。

実際問題として、エージェントの中で、2008年から2009年にかけての厳しいマーケット状況において退場を余儀なくされてきたのは、案件開拓力のない人々だったように感じています。その中には、ベテランも少なくなかったのですが、客観的に見ていると、最後まで「優秀な候補者に会っていさえすれば何とかなる」との幻想に縛られていたケースが多かったようです。(確かに、2007年くらいまでの買い手市場にあっては、優秀な候補者さえいれば、いくらでも決定していましたし、そのような恵まれた状況での成功体験を持っていればいるほど、逆に変化に乗り遅れるという傾向が強かったようです。)

ところで、2009年にお会いした方に一番よく聞かれた質問のひとつは、「いつになったら(転職マーケットの状況が元に)戻りますか?」というものでした。それに対する回答ですが、感覚的にも、また合理的な推論としても、2007年のような状況に戻る気配は、今のところ全く感じられません。

転職マーケットにおいては、この一年余りの間に、様々な変化が起こりましたが、既に述べた「売り手市場から買い手市場への変化」に伴なって、たとえば紹介手数料の低下、選考期間の長期化、等々も顕在化してきました。特に紹介手数料の低下という変化は重大で、一気に成熟した転職マーケットを持つ欧米並みにまで進んでしまった感があります。恐らくは、仮にどんなに景気が回復したとしても手数料が戻ることはないでしょうし、その面での人材紹介業のうまみはかなり薄れたとも言えそうです。

ただ、2008年が「急悪化の年」だったとすれば、2009年は完全なる「底ばいの年」であったと総括出来そうです。ある意味、2009年は安定していた年だったのであり、それぞれの人にとって戦略変更のための時間は十分にあり、状況打開のための手を打つ余地もいくらでもあったわけです。

肝心の2010年ですが、恐らく当面はまだまだ底ばいが続くことになるのでしょう。しかし、各種の経済統計などから見ても、2008年のような一段の急悪化の可能性は少なそうです。とすれば、決して難しい舵取りを迫られるわけではなく、2009年と同様に、底ばいを前提として手を打てばよいということになるのでしょう。

何れにせよ、ゲームのルールは、既にすっかり変わってしまいました。もし、いまだに変化に十分に対応出来ていないのであれば、旧来と同じやり方を一日も早く捨て去る勇気こそが、2010年を生き残る鍵になると思います。

「凡事徹底」と「先見の明」

昨夜、TV東京系列で放送している「カンブリア宮殿」という番組を見ました。

完全就職保証制度をうたい、少子化時代をものともせず躍進し続けていることで有名なモード学園の特集だったからですが、その内容は期待を大きく上回るものでした。教育関係者は勿論のこと、経営者、一般の会社員、就職を控えている学生、これから進学先を検討している生徒やその保護者等々、あらゆる層の方にとって非常に有益なものだったと感じます。

さて、この未曾有の就職難の時代にあって、一体どうすれば、完全就職保証などということが可能になるのでしょうか? 簡潔に言えば、モード学園の卒業生は徹底したスパルタ教育により、企業が必要とするスキルの面で、他の大学や専門学校で学んだ学生を遥かに凌駕するだけのものを身に付けているからです。

実際、その出席規定は三回の遅刻で一回欠席扱いという大変に厳しいもので、学生にはとにかく下記二点を徹底することが求められています。

①授業に参加すること

②課題を提出すること

言ってみれば、たったこれだけのことです。しかしながら、その課題は、質・量ともに決して半端なものではありません。(睡眠時間をかなり削ってまで課題に取り組む学生は少なくないようです。)従って、この当たり前の二つさえ出来ていれば、自ずと企業が求めるだけの即戦力スキルは身に付けられるし、結果として、こんなご時世であっても就職が可能になる、というわけです。

現実問題として、実業界とは、それはそれは厳しいものです。そんな実業界に受け入れられる、ましてやこのご時世で受け入れられるためには、生半可なことではどうにもなりません。その意味で、モード学園がここまで徹底して「企業が必要とする人材」の養成に注力する意義は十分に理解出来ます。と同時に、レジャーランド化した大学や専門学校では、とてもモード学園に太刀打ちすることなど出来ないでしょう。

私は仕事柄多くの社会人とお会いしていますが、モード学園の学生に比べて実力を出し切っていないとしか思えない人の割合は、残念ながら、相当高いように思えてなりません。それでも何とかなってしまった時代が、過去には確かにありました。しかし、今目の前に現れている現実の世界は、「それではどうにもならないもの」と言わざるを得ません。死に物狂いでやることは、生き残りのための最低必要条件となりつつあるのです。

ところで、死に物狂いで当たり前のことを当たり前にやっていさえすれば、少なくとも生き残りは保証されるのでしょうか? 大変残念ながら、イエスと言い切ることは出来ません。実は、もう一点条件があって、「時流に合っていること」がどうしても必要だからです。

実際、モード学園の歴史を振り返れば、正に「モード」という名が表す通り、時流に乗った経営がなされてきました。と言うのも、便宜上これまで「モード学園」という言葉で統一してきたものの、実は学校法人モード学園は、ファッションだけではなく、コンピュータ(IT)および医療の専門学校も、早くからスタートさせているからです。具体的には、医療への進出(大阪医専設置)は2000年でしたし、コンピュータ分野への進出(コンピュータ総合学園HAL大阪校設置)については、既に四半世紀も前の1984年のことでした。その後の日本の産業の興亡を思い起こせば、こうしたモード学園の英断は、正に「先見の明」以外の何者でもなかったと言えるのではないでしょうか?

結局のところ、モード学園の圧倒的な成功の秘訣は二点。「凡事徹底」と「先見の明」とに集約されると、個人的には分析しています。また、これら二点ですが、企業だけではなく、個人の場合にも共通するものだと考えています。両方ともなしに成功することは余程の幸運に恵まれる以外あり得ないのは自明ですが、あったとしても惜しいかな、どちらか一方しかない方が殆どです。そして、そうであるが故に、企業も個人も、成功が長続きすることは稀なのではないでしょうか?

そもそも「凡事徹底」していると、日々の仕事の中に埋没してしまってなかなか大局観を持てないということがあるようです。一方、「先見の明」については、日々ビジネスチャンスばかりを狙っている、悪く言えば山師タイプの場合は、(恐らくは馬鹿馬鹿しくて)なかなか当たり前のことを当たり前にやり抜くことが出来ないものだと思います。

結局のところ、それら二つはある意味相反するものであり、またそれ故にこそ、両方を兼ね備えている企業なり人なりは発展する、ということにもなるのでしょう。

余談ですが、番組を見終わって、大変に印象に残った点がもう一点ありました。番組の最後、「編集後記」としてメインインタビュアーの村上龍氏も述べていたことですが、モード学園の谷まさる学長の“奇跡のような若々しさ”です。

その背景には、「先見の明」と「凡事徹底」とで、ご自身が率いるモード学園をここまで成長させた上で、いまだに経営と教育の最前線で大活躍していらっしゃることがあるのでしょう。そして、それを支える根本の部分として、谷学長の中に圧倒的な利他精神があることが大きいと感じました。

実際、「何のために働いているのか?」との問いに、「世の中の若者のため。一人一人が一人前になっていくのがうれしい。」と谷学長は答えておられましたが、それなら永遠に働くモチベーションが失われることはないでしょうし、これからもその奇跡のような若々しさが保たれるはずです。

「働くこと」の根本的な意味を教えられたという意味でも、本当に有意義な番組でした。もし見逃した方がいれば、必ずチェックすることを、心からお奨めしたいと思います。(10月15日21時からBSジャパンで再放送の予定。)

キャリアプランの崩壊

先日、長いお付き合いをさせていただいているお二人の元候補者の方々と会食する機会がありました。それぞれA社とB社に所属しておられるのですが、両社ともに、この年末にかけて更なる大規模なリストラを断行するのだそうです。

A社とB社ですが、どちらも誰もが知っている世界的大企業という共通点があります。また、リーマンショック後、いち早くリストラに踏み切り、これまでにも断続的にリストラを続けてきたという点も同じです。それだけに、私としても、「ここに来てなお、両社はリストラし続けるのか!」と思わされましたし、今回の大不況の底の深さに改めて戦慄を覚えました。

超有名企業ということでA社とB社のことを採り上げたわけですが、言うまでもなく、その他大多数の企業の事情も大きくは変わりません。ほんの一部の好調な業界を除けば、今のところ採用意欲が盛り上がる気配は全く見られません。それどころか、まだまだ人員削減し足りない状況にあるというのが、実情なのです。

仕事柄、相変わらず、色々な方から転職市場の状況について尋ねられる機会が多くあります。リーマンショックから既に一年が経過したこともあり、「もうそろそろ・・・」との期待感からの質問だとは思うのですが、上記の如く、転職市場の状況が好転する兆しは全く見えません。それどころか、私個人の見通しとしては、「少なくとも短期的には更に一段悪化する」というものになります。

転職マーケットがこんな具合ですから、ヘッドハンティングや人材紹介の業界も景気がよかろうはずがありません。実際、直接あるいは間接に知っている人々が、今もなお、業界を去ったり、リストラに遭ったりし続けています。

本来は「転職のプロ」であるはずのヘッドハンターのうち、決して少なからぬ人々が自らの転職で行き詰まっているわけです。まさに医者の不養生ということになるのかもしれませんが、それを言えば、たとえば多くの経営コンサルタントも、自らの経営に行き詰まっているのが現状です。今は、転職のプロが転職で悩み、経営のプロが経営で悩まざるを得ないような恐ろしい時代、と見た方がよいのでしょう。

個人的にその可能性はあまり大きくないと見ていますが、景気は今後、多少上向きになるかもしれません。しかし、その場合でも、いわゆる「雇用なき回復」となる可能性が高そうで、こと転職マーケットに関する限り、V字回復は夢のまた夢と考えています。

以前であれば、ある程度の優秀層であれば、基本的には転職先として常に相当数の選択肢がありました。しかし、現状では、たとえ優秀層であっても、ある程度以上の年齢になれば、複数の選択肢があること自体が稀有なことです。また、たまたまオープンポジションが見つかったとしても、そこには瞬時に数百の候補者が集まるのが普通であり、苦労せずに転職出来るような環境では決してありません。

これまで複数の転職を経験されてこられた方からすれば、転職がこれほどまでに困難になってしまったことは、にわかには信じ難いだろうと思います。しかし、現実は現実です。「大変な時代」になったと嘆いても仕方ありません。それよりは、今までが「異様に楽な時代」だったという認識に変えた上で、現実に対応していく必要がありそうです。

さて、このような時代になってくると、キャリアプランという概念自体が無意味なものになってきたという気がしてなりません。と言うのは、キャリアプランを立てられる前提としては、多くの選択肢が存在すること(転職が容易であること)が前提だからです。選択肢がなく、目先の転職先自体を探すのも困難な時代にあっては、転職を重ねることによって長期的にステップアップしていくような計画は、机上の空論にしか成り得ません。

だからと言って、無計画になることを勧めているわけではありません。長期的には勿論のこと、日々の仕事においても計画性をもって臨むべきです。ただ、計画的に仕事をし、キャリアを積み上げてきたとしても、そのキャリアが突然、転職市場において価値を失うことになるリスクがあることは、常に意識しておくべきだと思うのです。

大切なのは、そのリスクが顕在化した際にどうするかですが、結論から言えば、変化するしかありません。ご参考まで、実例として、人材ビジネスを取り上げたいと思います。この一年の劇的な環境変化を経て、人材ビジネスで現在も生き残っている者は、基本的には、下記のうちのどちらかに分類されます。

①殆どダメージを受けずに済んだ業界(医療系やネット系など)を専門にしていた
②新しい領域にチャレンジした

①は幸運にも、変化せずに済んだ人たちです。細かく分ければ、「運がよかった」場合と「先見の明があった」場合とに分かれるのでしょうが、何れにしても、結果として、このような状況においてもほぼ無傷で来られたようです。

一方、②は、環境の急変にいち早く気付き、これまでの成功体験に溺れずに変化を選択した人たちです。ちなみに、一口に新しい領域とは言っても、実は色々なケースがあります。業界を変えた者、業界はそのままながら伸びている企業をメインクライアントにした(出来た)者、更にはアジア諸国に進出するなど地域を変えた者、等々です。勿論、変化したからと言って、すぐに素晴らしい結果が出るほど甘い世界ではありません。満身創痍ながらも何とか九死に一生を得ることが出来た、というのが共通する実感であると思います。

取り敢えず生き残ることが要求される局面においては、当然ながら、キャリアプランもへったくれもありません。好むと好まざるとにかかわらず、キャリアの大幅変更を余儀なくされてしまうからです。

まして、これからの日本は、未曾有の人口減少時代に突入します。少なくとも内需の拡大は望むべくもなく、どんどん減っていく椅子取りゲームを永遠に続けざるを得ないような状況にあっては、そもそも個人として右肩上がりのキャリアプランを描くのは非常に困難になるはずです。

とにかく最優先すべきは、生き残ることです。これからの時代は、キャリアプランを立てる暇があれば、想定外の環境変化にも耐えられるような危機対応能力を磨いておいた方がよさそうです。

独立力

先月の中国行きでは、北京でのビジネス話がメインではあったものの、実はビジネスとは全く関係のない、別の大きな目的が一つありました。22日に起こった皆既日食の観察です。そのために、わざわざ数日前から、絶好の観測ポイントの一つである蘇州に移動して準備したのですが、当日の早朝まで太陽が出ていたものの、皆既日食の直前からどんどん天気が悪化し、結局大雨の中で皆既日食を迎えることとなりました。

当日体験出来たのは、昼間に約五分間真っ暗になったということのみ。想定外と言えば想定外だったのですが、実を言えば、あまりがっかりもしませんでした。と言うのは、今から丁度十年前の1999年8月11日に、トルコで皆既日食を観察する機会に恵まれたことがあったからです。

その夏、夏期休暇の旅行先としてイスタンブールを選んだのですが、彼の地で皆既日食が見られるということを、事前には全く知りませんでした。たまたまイスタンブールの街をぶらぶら歩いていた時に見た旅行代理店の看板に「皆既日食ツアー」とあったことから、当地で皆既日食が見られることを知り、千載一遇の機会とばかり、そのツアーに申し込みました。そして、イスタンブールから十時間ほどバスに揺られて着いた某海岸にて、現地の人々とバーベキューなど楽しみながら、快晴の天気の下、皆既日食の一部始終を観測出来たというわけです。

最善の準備を整えても結果が伴わないこともあれば、単なる幸運で結果を得られることもあるなんて、正に人生やビジネスそのものです。そして、残念ながら、この2009年という年は、殆どの方々にとっては明らかに前者の要素が濃い年と言えそうです。

さて、このところお会いする方々からは、「転職マーケットの現況と見込み」について尋ねられることが多くあります。恐らくはポジティブな回答を期待しての質問なのでしょう。しかし、あいにく、そうした期待に見合った回答は出来ずにいます。

確かに、「底は明らかに打った」と言えますし、統計値にもはっきりと現れている通り、求人数そのものは増えています。しかし、採用基準が下がる気配は全くなく、量的にはともかく、質的には、最悪期から殆ど変化がないと言って過言ではありません。

何故、量的には最悪期を脱したのに、質的には変化が見られないのでしょうか? 簡潔に言えば、一部の好調な業界を除いて、一方で人を減らしながら、一方で採用している企業が殆どだからです。そのような企業が、減らした社員よりも劣る人材をわざわざ採用する道理はありません。要するに、「よほど優秀であれば採用する」というスタンスであり、それ故に採用のバーは一向に下がらない、ということになります。

では、人材紹介ビジネスの動向はどうかと言えば、新規開業軒数は明らかに回復基調にあるようです。ある方から聞いた情報ですが、有料職業紹介事業(人材紹介業)の許可を新たに申請する企業の数は、リーマンショック後は明らかに低迷していたのが、ここに来てはっきりと回復傾向を描いているのだそうです。

ただし、一方で忘れてはいけないのが、新規開業軒数は増えているものの、廃業軒数は相変わらず高止まりしているという事実です。人材紹介業に携わる企業が右肩上がりで増えていくとは思えませんし、それでなくても以前に比べ、相当に人材紹介マーケットのパイが小さくなっている状況です。余程の新規性なり他社との差別化が出来ていない限り、人材紹介マーケットにおいて、新規参入企業が成功することはないと断言できます。

ここまで、想定以上に話がネガティブになってしまいました。しかし、この段階では、と言うよりこれから先しばらくは、基本的に状況が改善する見込みがない以上、「根拠のない楽観論」を展開するのは罪でしょう。そして、少なくとも当ブログをご覧いただいている方々には、老婆心ながら、現実から目を逸らさず、将来に向かって必要な備えをしていただきたいと、心から願っています。

ちなみに、先述した「一部の好調な業界」と言うのは、医療系やネット系になります。今から約半年前、下記エントリーの中で、「医療系やネット系では求人が活発」と書きましたが、その状況は今に至るも全く変わっていません。

http://d.hatena.ne.jp/chaitian/20090208

ところで、先週たまたま立て続けに、お二人の経営者と雑談がてら、じっくり腹を割ってお話しする機会がありました。お二方とも数十名規模のコンサルティングファームを経営されているのですが、よくよく話をうかがってみると、悩みが全く同じであることが印象的でした。

その悩みと言うのは、「人が育っていない」ということです。と言っても、決して社長の代役を任せられるようなスーパースターの登場を望んでいるわけではありません。中小規模のコンサルティングファームにはありがちではありますが、ビジネスディベロップメントが出来る、平たく言えば仕事を取って来られるのが、結局社長一人となっていることが問題なのです。要は、いつまで経っても社長自身が楽になれず、また、社長自身の営業力以上にビジネスが拡大していかないということです。

二社ともに、現在はビジネスが縮小傾向で、基本的にコンサルタントの採用など全く考えてはいません。しかし、「ビジネスディベロップメントが出来る人がいたら採用しますか?」との問いには、「それはもう喜んで」と、お二方とも口を揃えられました。もっと言えば、ビジネスディベロップメントが出来る人ならば、どの企業からも採用されるでしょうし、逆に独立しても平気でやっていけることでしょう。

コンサルティング業界、あるいは営業職に限定した話になりますが、「転職も独立も出来る人」と「転職も独立も出来ない人」の二つに大きく分かれるものと思っています。裏を返せば、将来的に転職せざるを得ない状況に陥った際に困らないようにするためには、実は“独立力”を身に付けるべきであり、その“独立力” とは、仕事を取ってこれる力と、ほぼ同義になります。

昔から、「銀行は晴れた日に傘を貸すが、雨の日には傘を貸さない」と言われます。その伝で行けば、「会社は独立出来る人は採用するが、独立できない人は採用しない」ということになるのでしょう。本当に、皮肉としか言い様がありませんが、これは厳然たる事実なのです。